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我が家の2001年

 

2001年。アメリカのテロ、そしてそれに続く戦争。

この年は世界中の人々を悲しみと恐怖と不安に落とし入れた転機の年になりました。

明るい話題は探さなければいけないほど少ないように思います。

 

わたしたちレグナー家にとっても今年はほんとうにいろいろなことがありました。

新しい年を迎えるにあたり、我が家の2001年を振り返ってみたいと思います。

 

義父の死 7月6日
やはり、これが我が家のトップです。今感じるのは、近い人の死というものは、亡くなったその時点だけでなくその後もずっと存在するものだということです。ふとした折に彼を想い、その度に彼の死を再認識しては悲しみが湧き上がってきます。義母は、今年はじめてクリスマスツリーをひとりで立てたました。(クリスマスツリーを立てるのは、たいてい男性の仕事です。)

 

ヨーガンの手術 7月9日
義父の死と前後して、今思い起こせばけっこう大変でした。睾丸腫瘍(=ガン)の疑いがあると言われて、ショックをうけたヨーガンでしたが、精密検査の結果、大丈夫ということでホッと胸をなでおろしました。(実をいうとわたしは今ひとつピンときていませんでした。) 検査のための入院は数日に及び、体力的にすっかり弱っている夫の姿をみて、「わたしがしっかりせねば!」などとふと思ったわたしですが、それもリサがいたからです。結果が良かったから言えることですが、わたしにとってはいい経験でした。でも、できることなら、もう2度としたくないですね。

 

リサの手術 11月27日
耳が痛いので耳鼻科に連れて行ったら、いきなり「手術」と言われ、かなり動揺しました。でも医者の説明や本などの情報で子供によくある病気で手術も簡単だということがわかり、手術の当日は比較的冷静でいることができました。麻酔のガスを吸いながらトロリとした目になり、まぶたが重たくなっていくリサの様子は決して忘れないでしょう。それにしても、この程度の病気でも子供が不憫に思えてくるのですから、重い病気の子供を持っている親ごさんの気持ちを考えると心が痛みます。子供の病気って辛いですね。

 

リサの入園 8月
今年からいよいよ幼稚園に通いだしたリサ。彼女にとっても大きな変化でした。ドイツ語は日ごとに上達し、最近では日本語にドイツ語の単語が混ざることが増えてきました。ヨーガンとの会話も増え、今までわたしひとりが聞き役だった彼女のお話も、パパが聞き役になる機会も増えてきました。集団生活には比較的対応しているようですが、ひとりっこのせいか、何に関しても、やや、おっとりしているようで先生からも「リサはまず観察して考えてから行動する。」(=つまり行動がおそい。)と言われています。一方で「リサは同年代の子供よりも1年ほど知能の発達が進んでいる。」などとも言われてます。幼稚園でいろいろな催し物を経験したのは親子ともども楽しかったです。

 

マレーシア旅行 3月
楽しかった!いまさらここでいわずともマレーシア紀行でじゅうぶん書き尽くしました。

 

日本里帰り 4月と10月
今年はリサとわたしは2回も日本に行く機会がありました。日本では特に何もしないでも家族や子供たちと一緒にいることが楽しいです。4月は関空からアムステルダムへの便の出発が大幅に遅れて、翌日の便に変更し、一旦別れを告げた両親の家へと出戻りしたことが印象深いです。10月はヨーガンも一緒でしたが、楽しみにしていた沖縄旅行が台風直撃をうけ、しかもレンタカーが溝にはまって地元の人たちに助けてもらったことが忘れられません。

 

自転車
自転車を買ったのも大きな出来事でした。普段、自動車で移動することの多いわたしたちが、良い気候を利用して自転車で近所を散策に出かけるようになりました。車からでは見ることのできない景色を目にし、車では見つけられない場所を発見。フットワークのよさとフレキシブルなところがなかなか気にいったわたしたちです。もちろん健康維持にも活躍?

 

リサ文字学習 通年
年のはじめのころ、少しひらがなが読めるぐらいだったのが、春にはひらがな、カタカナをすっかり読めるようになっていました。書くことも今ではかなり正確に、強い筆力でしっかりと書けるようになりました。ドイツ語もがんばっているようです。

 

 

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