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日常で感じたことをそこはかとなく綴ります。

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Aある墜落事故                                             2002年12月18日

 

―11月のある日、ルクセンブルグ国営のルクスエアのプロペラ機が着陸直前に墜落。乗員・乗客20人が死亡した。

これだけだと、わたしにとっては単なる不幸な飛行機事故のニュースに過ぎない。

―この飛行機はベルリンからルクセンブルグに向かっていた。

ここで、この事故とわたしとの小さな接点が生まれる。わたしが日常を送るベルリンから飛び立った飛行機が墜落した。それでも、それは大した意味を持たない。

―事故機はベルリンのテンペルホーフ空港を朝の8時45分に飛び立った。

この瞬間、この事故はわたしにとって急に身近なものとして存在するようになる。ベルリン・テンポルホーフ区はわたしの居住区であり、テンペルホーフ空港はすぐ近く。夫の職場も空港内にある。しかも、我が家の窓からは空港を飛び立って大空に吸い込まれていく飛行機の様子を眺めることができるのだ。

市内中心部に位置するテンペルホーフ空港は主に小型機の発着に利用される。多忙なビジネスマンたちが国内、または欧州内の移動のためここから飛び立ち、そして戻ってくる。

その日も、彼らの多くはルクセンブルグまでの日帰り出張のため朝早くに家を出て、夕方には自宅に戻ることにしていたかもしれない。ベルリンのどこかに住む見知らぬ人たち。この事故がなければ、気に留めることもなく、一生わたしとはかかわらないであろう人たち。彼らが小さなこのプロペラ機にその日、偶然乗り合わせていた。

そしてわたしはその機体を見ていたかもしれない。そのエンジン音を耳にしていたかもしれない。わたしは娘を幼稚園まで送っていった帰り、ちょうどこの飛行機が飛び立つ頃に自宅前の道を歩いているのだ。

テンペルホーフ空港からは一日に何機も飛行機が飛び立っていく。道路を挟んだ向かいの建物の背後から突然現れ、鋭い角度で空に突き進んでいく姿はいつ見ても劇的でさえある。その日もわたしはきっとその飛行機の姿を目にしていたに違いない。しかしそれはわたしにとっては単なる日常の背景でしかなかった。

しかし、その単なる背景の中にはそれぞれの運命を背負った人々が乗り合わせていた。数時間の後には絶たれることになっている自己の運命を知る術もなく、小さな空間に偶然同時に存在する人々がいた。ある人は、離陸する機体から窓の外を眺めていたかもしれない。点よりも小さい私の姿がもしかしたらその人の瞳に映っていたかもしれない。その人にとってのわたしは、また、単なる背景でしかなかった。

一昨日からの灰色の雲が切れて、今朝は青空が広がっていた。そのため気温は低く、幼稚園に娘を送り届けてきたわたしは熱いコーヒーを体に流し込みながらサンルームの椅子に座っていた。何気なく外を眺めていると、向かいの家の屋根から朝日を全身に受けてくっきりとその輪郭を際立たせたプロペラ機が突然現れた。

鋭く尖った鼻先と、小さな機体には大きすぎるような2機のプロペラ。エメラルド色に塗られた尾翼には「L」を象ったマーク。ルクスエアのFokker 50だ。時計を見ると、9時少し前。ああ、この便が墜落したんだなぁ、と急に事故のことが記憶に甦る。

墜落後も、この便が続行されているのは当然のことで、今日も多忙なビジネスマンが乗り合わせているにちがいない。ある人は、パソコンを取り出して時間を惜しんで仕事を仕上げ、ある人は新聞にゆっくり目をとおし、またある人はただぼんやりと眼下の風景を眺めているであろう。自分が乗った飛行機が墜落することはない、という無意識的な確信とともに短いフライト時間を過ごしているであろう。墜落機に乗り合わせていた人々と同じように・・・。