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B母の日に思う                                             2002年5月11日

 

わたしが母親になって早くも5年半の月日が流れた。

この5年半の間に学んだことは、それ以前の30年で学んだことよりもずっと大きい。いや、母になるまでに積み重ねてきたあらゆる経験を集大成する手掛りをこの5年半で見つけたと言えるかもしれない。

わたしは決して模範的な母親ではない。子供に対して感情的に怒ったりしてしまうし、ときには手さえあげてしまう。娘がわたしの顔色をうかがっていることに気付くたびに、恥ずかしさと情け無さとでいっぱいになる。

こんな親のもとでも、幸いに娘は健全に成長してくれている。父親から譲り受けた優しい気持ちも育んでくれている。

5歳の娘のそんな姿を見ていると、いつも赤ちゃんの頃から今までの姿が次々と目に浮かんでくる。生まれたばかりの皺くちゃで毛むくじゃらの小さな小さな赤ちゃん。ベッドのなかでピンクのオーバーオールを着て猫の子のように寝ていた姿。本に興味を示して、1ページ、1ページめくっては目を輝かせていた姿。歩きはじめたころ、公園までゆっくり、ゆっくりお散歩していた姿。音楽を聞くと自然に体が動いてダンスしていた姿。・・・・・・。

他人が見ると、娘は「5歳の女の子」として平面的にしか写らないであろうが、わたしにとっては、生まれたときからいままでの全てが幾層にも積み重なって彼女を構成しているように見える。きっと、これは今後もずっとそうなのだろう。10歳になって生意気になっても、わたしは娘の姿に過去の10年が重ねて見ているだろう。18歳の大人になっても、やはりわたしは彼女の赤ちゃんの頃や幼い頃の姿を重ねて見ているだろう。

こういうふうに、わたしの両親もわたしのことを見てくれていたにちがいない。母に幾度となく楯突いて、ひどい言葉を投げかけていた思春期の頃。そのときも母はティーンエイジャーだったわたしに幼い頃の姿を重ね合わせて見ていたのであろう。「親の心、子知らず」とはよく言ったものだ。当時のわたしは、なんと平面的にしか親と自分の繋がりを見ていなかったことか。自分が親になって初めて、自分の親がどのように子供であるわたしを優しく包みこんでいてくれたかということに気付く。

そして、わたしが親から受け継いだものを、今、わたしは自分の子供に伝えようとしている。夜、寝る前に本を読んでもらったときの心のときめき。はじめて包丁できゅうりを切ったときの達成感や充実感。具体的に一つ一つ挙げていくことは難しいことばかりだが、わたしが娘に教えられることの多くは、親から教えてもらったこと。

それは、また、わたしの両親が、その両親から受け継いだもの。そしてそれはわたしの娘を通して、その子供達へと受け継がれていく。こうやって、過去と未来がつながっているということに気が付く。「人類の歴史」というような大袈裟な言葉に、わたし自身が参加しているのだ。

親にならなければ、こんなふうに考えることはなかっただろう。

小学生のとき、母の日のプレゼントとして近所のスーパーで500円でネックレスを買ったことがある。バラの花を透かし彫りにした安物のネックレスだったが、母は思いの外に喜んでくれた。数日後、母が外出するときにそのネックレスをつけていたのを見て、とても嬉しかったことを覚えている。

お母さん、ありがとう。