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2002年1月24日〜2月10日

 

バナナの花(ペナン)

 

第6章 旅の終わりに・・・

A再びシンガポールへ

翌日、タクシーでわたしたちはシンガポールへと向かった。この日の深夜にヨーロッパへ向かう飛行機に乗ることになっている。ジョホバルという街に宿泊したのは、物価が安いという理由からだ。シンガポールは宿泊費が高いので、狭いホテルに泊まる同じ料金でここではプールつきの高級ホテルに泊まることができる。

川の向こうはもうシンガポールだ。前回は列車で越えた国境だが、今回は車だ。国境では一台ずつ出入国審査を受ける。タクシーの運転手も同じようにパスポートを見せるのだが、彼のパスポートはよれよれになっており、出入国のスタンプで溢れていた。殆ど毎日のようにこの国境を越えているのだろうか。

わたしたちは列車で入国したので、マレーシアの入国スタンプが旅券に押されておらず、そのために少し手間取った。(あの国境の駅の入国審査のときに押さなかったのね。)電車の切符を証拠として提示されることが求められ、ヨーガンは鞄の奥にしまいこんだ切符を探し出さねばならなかった。彼は、普段、航空券の半券など何でもとっておく習性があり、「こんなものいつまでおいておくの?」と非難を浴びせているわたしだが、今回ばかりはその習性が効を奏した。わたしだったら、さっさと捨ててしまっていたかもしれない。それよりも、入国審査のときになんでスタンプ押さないんだろう。使い終わった切符を捨てたり無くしたりする人もいるだろうに。

シンガポールのチャンギ空港は北の方にある。つまり、マレーシアに近いところにあることになる。しかし、マレーシアのタクシーはシンガポール市街の特定のタクシーターミナルでしか停車してはいけないことになっている。わたしたちは、空港に荷物を預けてから、市街に繰り出そうとしていたのだが、そういう理由で空港を素通りせねばならない羽目になった。次回は、国境のところまでマレーシアのタクシーで行き、徒歩で出入国審査を受け、そこからシンガポールのタクシーで空港まで行くことにしよう。「次回」があるのかどうかわからないが。

空港で荷物を預けたあと、地下鉄で市街へ出る。市の中心と空港を結ぶ路線は実は数日前に開通したばかり。わたしたちがシンガポールに来たときにはまだなかったのに、マレーシアをうろうろしているうちに晴れて開通となっていたのだ。(路線が延長されて空港と市街がつながった。)

地下鉄の駅に列車が入ってきた。扉が開くと同時に、乗ろうとする乗客と降りようとする乗客とが入り乱れる様子には、愕然とした。整然としたシンガポールのイメージとは遠くかけ離れているのだ。少し考えて思いついた。シンガポール人はもともと秩序とか整然とかいう言葉に縁遠い民族なのではないだろうか。だからシンガポールにその秩序をもたらすためには厳しい法律が必要になってくる。(道にゴミを捨てると罰される・麻薬を所持すると死刑、など。)そういう法的罰則のもとではシンガポール人は大変お行儀がよいが、いわゆる罰則の無い「公衆マナー」というものは意味を持たないのではないか。実際、電車の中には「電車の中で飲食をすると罰金xxドル」というステッカーが貼られてあった。(そのとき飴を食べていたわたしは思わず口を動かすのをやめて食べていない素振りをしていた。)

その夜はデパートの中のレストランで「スチームボート」という東南アジア風「鍋」を囲んだ。マレーシアから来ると、物価がとても高く感じられる。のんびりとした島から大都市への移動は、夢の中から現実へと引き戻されたような気分になり、まだ旅行が終わっていないのに、どこからか疲労感がひしひしとわいてくる。

閑散とした地下鉄に乗り、再び空港へとむかう。闇の中に浮かぶマンションの明かり。その数だけそこに生活があり、暮らしがある。今日わたしたちがドイツに戻っても、ここに住んでいる人々は、明日も明後日もその次の日もここにいる。そんな明かりが世界中にどれほどあるのだろう。旅人として、わたしはそのうちのどれだけを目にすることができるのだろう。

アムステルダム行きのKLM便は満席で、義母は見知らぬ人の隣で12時間あまりを過ごさなければいけなかった。わたしたちは長時間飛行を何度も経験しているとは言え、疲れることには変わりはない。

今回の旅行は、いつもと比べるとかなり満喫できたように思う。「お姑さんと一緒の旅行なんてわたしは考えられない。」という人が殆どだが、わたしはそれほど悪くなかった。いや、いつもの親子三人のときよりも、会話のベクトルが広がり、単調な人間関係に変化ができたように思う。その分、つまらない夫婦喧嘩や親子喧嘩をすることもなく、旅行自体を楽しむことが出来た。彼女は孫の世話してくれるというタイプではなく、まず自分の時間・空間を確保するタイプなので、子供を任せて夫婦で何かを楽しむということはなかったし、わたしたちもそういうことを望んでいるわけではなかった。彼女が1人でも行動できる独立した女性であることが何よりだった。また、是非義母と一緒に旅行したいと帰ってきてから思っている。

白い砂浜でみんなでした凧揚げ。楽しかったね。また一緒に凧揚げをしにいこうね。

ランカウィの浜

おしまい

これまでのお話

 

 

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