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 第四章 敗戦とその後

 

今回は少し硬いテーマです。2年のインターバルを経て、更に鋭く、更に深く、日独の相違に切り込んでいく!か??

 

数年前、ドイツ人の夫と共に母の実家である鹿児島を法事で訪れた際、知覧にある特攻隊記念館を見学しました。特攻隊員として死んでいった若者たちの写真や手紙などを胸を裂かれる思いで眺め、わたしは戦争の愚かしさを再認識しました。展示室を出たところのホールに大きな油絵が掛けてあり、赤い太陽に染まった空を飛行する日の丸のついた戦闘機が描かれていました。その絵を見てわたしが感じたことは特攻隊員の辛い気持ち、悲しい運命等でしたが、夫は違ったようです。「戦争を美化しているように映る。」彼はそうつぶやきました。 

 

ファシズムが台頭し、そして敗戦という同じ過程を持つ二つの国の歴史ですが、戦後に於ける戦争への認識という点で大きく隔たりがあるということに気がついた瞬間でした。

 

ドイツでは周知のように、戦後、ナチスやヒットラーを全面否定することによって、国際社会での地位を建て直してきました。ドイツに住むようになってから知ったのですが、右手を高々と掲げるナチス敬礼やナチスのシンボルであった鍵十字を公の場所で示すことは法律に抵触します。政治家はもちろん、社会的地位のある人間がナチズムを正当化するかのような発言があれば、その人物の失脚は免れません。

 

そういう環境で育った彼にとって、美しく夕日に輝く爆撃機を描いたその油絵は戦争賛美、当時の日本政府の正当化と感じられたのでしょう。もちろん、展示の中心であった特攻隊員の家族に宛てた手紙などは日本語を読めない彼は読んでいません。特攻隊記念館の意図は、戦争という誤った国策のために命を落とした若者の手紙や遺品を通して、戦争の愚かさを認識させ、平和を希求することにあると思います。戦争または国家という大きな対象を否定するために、ひとりひとりの小さな、しかし、かけがえのない命に焦点を当てるという方法は日本人の心に強く訴えるものがあるように思います。

 

同じ敗戦国家で、数多くの犠牲者を出したドイツですが、兵士の個人的な記録を集約して展示しているところはあまりないように思います。ナチスの兵隊と言えども、それぞれかけがえのない命であったことには変わりありません。けれども、ドイツの戦後の政策、あるいは社会風潮として「被害者」というよりは「加害者」という側面のみを強調して国際社会に臨まざるを得なかったようです。加害者として、自分たちが迫害したユダヤ人に関する展示は至る所に存在します。元収容所だったところが博物館としてドイツ各地にありますが、収容されていたユダヤ人をはじめとする人々の日常を感じさせる遺品や手紙、劣悪な状態だった収容所の様子、実際に処刑が行われた部屋など、見学したあとはしばらく暗い気持ちに覆われます。こうして、自分の国が他国・他民族に対して行った蛮行を認識し、戦争の愚かさを認識するというのがドイツでは主流のように感じます。

 

しかしながら、これがドイツ人のトラウマとなっていることも事実です。ユダヤ人迫害の史実が足かせとなり、現在でもイスラエルを非難することは容易でなく、社会的地位を失うことさえあります。昨年、野党の有力政治家が反シオニズム(反ユダヤ民族主義)発言が原因となり、所属政党から糾弾され、最終的には自殺に追い込まれました。また、戦争中統治下にあった現在のチェコやポーランドから、敗戦後に引き上げてきた20万人ものドイツ人が途中迫害され、略奪・暴行・殺害にあった史実もそれほど広く知られていません。そういう家族の遺族が記念館を建設しようという動きが現在ありますが、それも「被害者としての側面を強調することにより、加害者であったことを隠匿しようとする」として反対されたりしています。

 

日本では上記の特攻隊記念館のほかに広島や長崎の原爆記念館が戦争の記録を展示することにより反戦思想を提示している博物館として思い浮かびます。原爆記念館には何度か訪れましたが、止まった時計や溶けたガラス、石に焼け付いた影などから、一瞬のうちに命を落とした人々の不意に絶たれた日常が窺われ、強力破壊兵器の恐ろしさを肌に感じました。そして、アメリカやフランスなど核保有国で核実験が行われる度に広島市長が出している抗議文のプレートの数の多さに憤りとやるせなささえ感じました。しかし、ここで展示されているのは「被害者としての日本」です。知覧の特攻隊記念館でも爆撃機のパイロットとして加害者のようでありながら、戦争という国家の行為に犠牲となった「被害者」として死んでいった若者たちが扱われていることに気がつきます。それはドイツであくまでも自分たちのことを「加害者」として扱っている展示と大きく、性質を異 にします。同じく戦争を否定し、平和を希求する気持ちを持っていても両国に於いて、根本的に戦後における戦争の取り扱い方が違うのだ、ということを改めて認識しました。

 

 

  

今、なぜこういうテーマに関して書こうと思ったのかというと、最近の日本の動向に絶大なる不安を抱いているからです。数日のうちに自衛隊がイラクへ派遣されます。北朝鮮に対する国民的ヒステリー(=日本の外に住んでいるとそのように見える)もエスカレートしているように思います。今こそ、アジアの隣人達と手を取り合い、相互理解を深めていくべき時なのに、首相は靖国神社を参拝。その国の伝統に口をだすな!というようなコメントまで出しています。

 

自分たちが被害者となった場合は、過剰なまでにその細部まで近づいて、如何にその行為が野蛮であったか、理不尽であったかを追求する一方で、自分たちが加害者となった場合は、相手の痛みなど理解しようともしない。被害者の立場から戦争や罪を否定する方法は間違っていないと思いますが、自分が被害者と同時に加害者にもなりうることを認識すべきであると思います。公明党の議員が「原爆を投下したエノラ・ゲイの栄光の展示を見て日本人が感じる不快感。それを首相の靖国参拝に関して中国や韓国の人々が同じように持っていることを首相は認識すべきだ。被害者の痛みを理解せよ。」と発言したのはとても共感しました。

 

「自分がされて嫌なことは他の人にはしない。」「悪いことをしたらごめんなさいと言いなさい。」「怒られたことと同じことをもう一回しない。」幼い娘に普段言い聞かせていることを、国を引っ張っていく人たちに声を大にして言いたいところですね。

 

 

 

 

2004年1月10日

 

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