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2002年1月24日〜2月10日

中国人街

ヒンズー寺院の内部

第1章 シンガポール  

Aおいしくて親切なシンガポール

シンガポールに到着した日の夕方、小雨の中を食事にでかける。ホテルの周辺は新しいオフィスビル街でアーケードづたいに雨にぬれずに歩いていくことができる。派手な電飾が施された携帯電話店のすぐ横の通路にいくつも丸いテーブルが並べられ、会社帰りの人々で賑わっている。卓上にはプラスチックのオレンジ色のお皿がいくつも並び、みな蟹や海老などの海鮮料理にビールで盛り上がっている。

特に行くあてもなかったわたしたちは、いとも安易に記念すべきシンガポールでの最初の食事処を決めてしまった。注文するのはわたし。ヨーガンも姑も何を頼んでよいのかさっぱりわからない。こういうとき、どのくらいの量を注文するかがいつも難しいが、注文をとってくれた女性はわたしのつたない英語をちゃんと理解してくれ、適切な量をみつくろってくれた。リサのためにプラスチックの椅子を重ねて高さを調節してくれたり、さりげないサービスがとても心地よかった。味は、もう、大満足!おいしーっ!と思わず叫びたくなるほどで、素朴ながらも繊細な味付け。これは大ヒットでした。

もっともヨーガンや姑は蟹料理は今ひとつ気に入らなかったみたい。と、言うのは殻があって食べにくいからだと思う。あの殻にこびりついた肉をしがみながら食べる楽しみは、蟹上級者だけの特権のようだ。

シンガポールの住民の多くは中国系であるが、ほかにマレー系やインド系、それにアラブ系も住んでいて多民族文化を織り成している。工事現場のトタン板に書かれた注意書きも4ヶ国語である。インド人街やアラブ人街、それに中国人街などそれぞれの民族が街の一角を形成している。

インド人街に足を踏み入れるとお香や香辛料のにおい、インド音楽や鮮やかな民族衣装など五感を通じてインド的な要素が飛び込んでくる。昨年のクアラルンプールに続き、再びヒンズー教のお寺のなかにはいった。ひんやりとした床に信者たちが座りこんでおしゃべりしている。若い男性がプラスチックの保存容器にはいった食べ物をわたしたちに差し出してくれた。最初、意味がわからなかったが、ヒンズーの習慣でお寺でほかの信者に施しをするのもひとつの善行らしい。奥さんと小さな子供を連れた彼はたくさんの食べ物がはいった容器をかばんの中からいくつも取り出しては周りの信者たちに配っていた。

昔ながら中国人街の面影がまだ残っている地区はお洒落なレストランやカフェや屋台が立ち並ぶ。ちょうどお昼休みで近くのオフィスからたくさんのビジネスマンやOLたちが食事にやってきていた。ここでわたしたちはフィッシュヘッドカレーを食べた。魚の頭がまるごと入っているカレーだ。3人前を頼むと土鍋に入ってでてきた。いわゆる日本のカレーとくらべるととろみが少なく、どちらかというとスープ。これを白いご飯といっしょにいただく。辛い!熱い!でも魚のだしがきいていて美味しい。この屋台では最初頼み方がわからなかったけれど、ちゃきちゃきしたお姉さんがそれなりに理解してくれた。

シンガポールの人は愛想は決して良いとは言えないけれど、とても親切。さりげないやさしさを持ち合わせている。

高層ビルと昔ながらの中国人商店

あいにくの雨だったが川べりから眺める高層ビルと小さな昔ながらの中国人商店のみごとなほどの対照は一見の価値あり。しかし、よく観察してみるとこれら小さな家々はきれいに改築されてあり、ほとんどがオフィスやカフェなどになっている。つまりはすでにオリジナリティは失われており、経済的効果を計算された文化財保存活動という感じ。それでも昔のシンガポールの姿に思いを馳せるにはじゅうぶんだ。

街全体が整然とし清潔感あふれるシンガポール。クアラルンプールを洗練させ、清潔にし、計画的に工事をすすめればこんな感じになるかも、などと思った。面白みがないといえばそうだけれど、生活するとすれば快適だろうなあと思ったのも事実である。

 つづく

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