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2002年1月24日〜2月10日

美しいお茶畑

 

第3章 マレーシア縦断 

A寒いカメルーン高原と臭いドリアン

クアラルンプールで車を借りて、整った高速道路を北上。3時間ほどでわたしたちはカメルーン高原についた。ここはかつての植民地時代、イギリス人が避暑地として館を構えたところで紅茶の一大プランテーションでもあった。現在も山の斜面に延々と茶畑が続く景色は壮観である。地図に「Tea House」と記されたところに向かう。実際、着いてみると道路わきのテラスから茶畑が一望でき、また山の涼しい風が吹いてきてとても気持ちいい。しかし「Tea House」という言葉から想像していたようなコロニアル調の洒落たカフェはなく、ただ小さな売店があるだけ。しかも閉まっている。ちょっとがっかりする・・・というより、「Tea House」という言葉の響きが創出する言葉のイメージの良さとそれにすぐ乗せられる自分に気がつく。その言葉の背後に潜む「英国」「王室御用達」「コロニアルスタイル」「ティータイム」等々の言葉が、わたしたちの「なんだか素敵」というイメージに直結しているのだ。恐るべし大英帝国。腐っても鯛である。

カメルーン高原での宿泊はそれこそ、コロニアルスタイルのホテル。山の中にたたずむ避暑地のシックなホテルだが、内装はかなり古臭くなっていた。アンティークというのではなくただ単に古い。それよりも、室内のテーブルの上に置かれてあった一枚の紙には驚いた。それはホテルの備品の価格表であった。タオルやバスローブなど、ホテルの備品を販売することは決して珍しいことではない。しかし、ここの価格表には部屋のテレビや冷蔵庫、ポットなどの価格まで記載されているのだ。誰かが、こんな古びたテレビを買いたがるのだろうか。それともテレビをカバンにつめこんで持ち帰ってしまう人がいたので、それを牽制するためだろうか。あるいは、新しいテレビを買うために中古品を下取りに出して調達資金の足しにするためだろうか。謎は深まる。

それはさておき、ホテルの近辺を散策に行くことにする。このあたりはトレッキングコースとなっている。このホテルを基点として数日滞在してトレッキングを楽しんでいるらしい宿泊客も見かけた。さすが避暑地だけあって、お金持ちの別荘が何 軒か建っている。中でも王族の別荘は門柱が金ぴかでゴージャス感たっぷりだった。道路はアスファルトで舗装されており、気楽に散歩できる。道路わきには原生林が広がっており、シダやバナナなど熱帯植物がのびのびと育っている。紫色の華麗な蘭が、当たり前のように雑草として花を咲かせている。豊かである。

しかし、日が陰るにつれてだんだん肌寒くなってきた。クアラルンプールとの気温差に驚く。晩ご飯は、ホテルのレストランで食べた。義母の希望で(この肌寒いのに)バルコニーに席を構えたが、食事が進むにつれてわたしは体の芯まで冷えていった。持ってきているのは夏服ばかり。薄手の長袖のカーディガンを着込み、首にはスカーフをまき、7分丈パンツに靴下+サンダルという変な格好のわたし。食事のあと、ロビーに行くと暖炉に火が焚かれていたので一番近いところへ陣取って凍りついた手足を暖める。マレーシアでこんなに寒い思いをするなんて、予期すらしなかった。

素敵なバルコニーですが寒いのよ。

翌日は山を下りてペナンに向かう。高速道路のドライブインは果物市場になっていて、様々なトロピカルフルーツが売られている。そこでわたしは果物の王様、ドリアンを食べてみることにする。カメルーン高原からの道で、わたしたちの前をドリアンを山積みしたトラックが走っていて、その匂いがわたしたちの車内にまで充満していたのだ。それほど強烈な匂いを持った果物。ドリアン。室内にドリアン持ち込み禁止をうたったホテルも数多い。

お店のお兄さんに品定めをしてもらい、半分に切り開いてもらう。クリーム色の果肉が大きな種のまわりにたっぷりとついていて、これを食べる。味は「水餃子」のようだ。果物というよりは肉料理の味わい。義母も何切れか食べて、それほど悪くないと思ったようだ。リサとヨーガンは手をつけようともしない。結局、半分ほど食べて、それ以上食べると気分が悪くなりそうだったので捨ててしまった。

 

ドリアン・・う〜ん。こんな味です。

つづく

これまでのお話

 

 

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