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(12月25日更新)

 

バレエ観劇

12月25日

親子ともども楽しみにしていた「くるみ割り人形」のバレエを国立歌劇場で観てきました。リサはあいにく体調が思わしくなく、熱っぽかったせいで後半は力尽きて寝ていました。

国立歌劇場は建物自体が豪華絢爛でかつての社交界の華々しさに想いがめぐります。幕間の休憩時間ではシャンペンやコーヒーを片手に歓談するお洒落な人々を垣間見るのも楽しい。

「くるみ割り人形」が劇場デビューとなることが多いらしく、たくさんの子供の姿を見かけました。隣に座っていた女の子はリサよりも幼かったけれどおりこうさんにしていたのには感心。さすがに最後まではもたず、お父さんが外に連れ出していましたが。

ベルリンにある三つの歌劇場のなかで、国立劇場は比較的古典的な解釈で上演していて、わたしのような素人は素直に楽しめます。(現代的な解釈だと芸術性は高いけれど、あまりに簡素化されていたり前衛的すぎたりする。)

シフォンのドレスがふわりと開いて、またゆっくりと落ちていく。女の子なら誰でもあこがれる世界が「花のワルツ」の音楽とともに目の前に繰り広げられ、しばし夢の世界に酔いしれました。

久々にスーツを着てお洒落をしたわたしですが、・・・苦しい。きつい。毎日鏡を見ていて太ったとは思わなかったのですが、どうやら甘かった。中年太りは知らないうちに忍び寄っていた。

 

ベルリン ホワイトクリスマス

12月24日

昨年につづき、今年もクリスマスイブは雪模様となりベルリンはホワイトクリスマスを迎えました。一日中降り続いた雪は辺り一面を白い世界へと変え、幻想的な雰囲気がクリスマスを盛り上げていました。

ソリ滑りから帰った我が家にはサンタクロースからの置き手紙。「リサちゃん メリークリスマス。ほかの子供たちが待っているので、もう行きます。来年は会おうね。」そしてクリスマスツリーの下にはたくさんのプレゼントが並べられていました。

リサは希望どおりスクーター・カセットテープレコーダーそして(ママが10分で作ったような)小さな指人形。そのほかに本やゲームが山ほどありました。

素直にサンタクロースを信じる我が子の姿に顔が緩むわたしたちでした。ちなみにわたしたちへのプレゼントはクリストフルのケーキ用フォークセットでした。(毎年少しずつ揃えています。もしわたしたちに贈り物をくださる時はクリストフルのフィデリオというシリーズをください。厚かましい?)

 

雪のワンダーランド ザイフェン

12月20日

12月19日から20日にかけて、エルツ地方の観光の中心であるザイフェンという村に行って来ました。ドレスデンでアウトバーンを降りて約2時間。雪化粧をした森や山を越えたところに小さな「クリスマスの里」があります。

ザイフェンの村にはくるみ割り人形などこの地方特産である木の装飾品のお店のほかに、ソーセージや温かいワインを売る屋台がたちならび、クリスマス前の雰囲気を盛り上げていました。

おもちゃ博物館では様々な時代のおもちゃや装飾品が展示されていました。また、工房見学もでき、木の人形たちが丁寧に手作りされている様子も見ることができました。博物館では退屈そうだったリサですが工房では急に目がイキイキとなり、職人さんたちのお仕事の様子をじっと見つめていました。そのおかげか、職人さんたちが仕事の手を止め、小さな人形や木の飾りをリサにプレゼントしてくれました。(工房は3階建てでしたが、各階で1個ずつもらいました。)

それにしても、何にも増してロマンチックだったのは雪景色。村と村の間に広がる畑や森は白い夢の世界。二日目は幸いにも青空が広がり、雪の上に光と影が織り成す美しさを堪能しました。わたしが特に感動したのは畑の真ん中の道を車で走っていた時のこと。畑に積もった雪が風に吹かれて道路に流れてくる様子は、まるで白い滝のようでした。

 

氷点下の日とクリスマス会

12月14日

ベルリン地方、昨夜の最低気温はマイナス9度。日中も氷点下のままで、冷凍室のような寒さでした。でも、久々に青空の広がる明るい一日で、朝起きた時に「あ、昨日寝る前に電気を消し忘れてしまった!」と思ったほどです。(いつも朝は真っ暗です。)今夜はそれほど冷え込まないようですが、南部の山岳地方はなんとマイナス26度!!の予報です。

そんな寒い日々、クリスマスの雰囲気は日増しに盛り上がっています。今日はリサの幼稚園でクリスマス会でした。父兄による「キリスト誕生劇」のお芝居や子供たちの歌、そして持ち寄ったお料理やお菓子で楽しくすごしました。

わたしはお寿司(ツナの巻き寿司とサーモンの押し寿司)を持っていきましたが、大好評。あっという間になくなってしまいました。うれしい。実は、巻き寿司の巻き方がヘタであまり上手にできないのですが、今回は慎重に試みたのでなかなか上出来でした。

ヨーガンは仕事で来れなかったのが残念です。きっと来年ね。

 

バレエ「くるみ割り人形」

12月5日

 

12月25日上演分のチケットを購入しました。場所はドイツ国立歌劇場(Staatsoper Unter den Linden)。これがリサの劇場デビューとなるので、大枚はたいて一番高い席(約120マルク)を3枚買いました。窓口の女性は膝の上にのせて見せてもいいよ、と言ってくれましたが、まあ、年一回のことだし、彼女にも席を確保してあげました。(子供割引はないみたい。学生割引はあるんだけどね。)

くるみ割り人形のお話と音楽を用意して、予習をさせておこうと思っています。

 

サンタクロースさまへ

12月1日

 

リサは幼稚園でサンタさんにお手紙を書きました。

クリスマスにはローラー(スクーター)とテープレコーダとカスパー(人形劇の人形)をください。

だからパパとママはもうローラーを買わなくていいよ。

 

テープレコーダはオマがサンタさんからこっそり教えてもらったみたいです。カスパーはお誕生日会のためにママが作ったんだけど、もっと欲しいのかなぁ??もう作る気力がないんだけど。

 

問題はローラーだ。結構高いので、復活祭のウサギさんに頼んだ方がいいかもしれないよ。

 

第1アドベント・・ケムニッツへ

12月1日

 

今年の第1アドベントはわたしの35回目の誕生日と重なり、わたしたちはケムニッツの義母のもとで過ごしました。アドベント(=クリスマス前の4週間のこと)の幕開けとなるこの日、ケムニッツでは伝統の「鉱山夫パレード」があり、昔の制服に身を包み軽快な音楽と共に行進していく人々を見物しました。この地方は、以前、鉱山業がさかんでスズなどがたくさん採れたそうです。今では鉱山は閉山しましたが、代わってくるみ割り人形などに代表されるクリスマス装飾品の産地として名を知られています。

 

その日にオープンしたクリスマス市ではレース編みの窓飾りやリサのおもちゃを買ったり、グリュ−ワインを飲んだりしました。

 

義母の家はすでにクリスマス装飾が美しく施されており、その中で彼女の自慢料理のウサギ肉とおいしい赤ワインでわたしの誕生日をお祝いしてもらいました。

 

リサの誕生日

11月29日

 

我が家の娘が満4歳の誕生日を迎えました。今年から幼稚園にも通い始め、ドイツ語も上達してきた彼女。父親似の優しい心と(母親の意地悪にも耐え忍ぶ)忍耐強さが自慢です。

 

当日は幼稚園のお友だちを中心にドイツ人の子供を招待し、父母が企画したゲームや人形劇で楽しいひと時を過ごしました。

 

ヨーガンが子供の相手や人形劇で(思いのほか)大活躍してくれたのでわたしはとても助かりました。

 

プレゼントをいただいた皆様、ここで改めてお礼申し上げます。有り難うございました。親子ともども喜んでおります。

 

リサ手術無事に終える

11月27日

 

27日の早朝に行われたリサのアデノイド切除と鼓膜切開の手術は無事に終了。術後の経過も好調です。

手術後、麻酔から覚めたときに、ややむずかっていましたが、鎮痛剤のおかげで痛みはそれほど感じていないようです。

耳が聞こえるようになったことは明らかで、ここ数日のように何度も繰り返して話す必要もなくなりました。耳がよく聞こえることは本人の精神的な不安感を取り除いたようで、集中力も良くなり、ひとり遊びがまたちゃんとできるようになりました。

(ここ数週間、ぐずったりいつもひっつきまわっていたりしたのは耳のせいだったことを改めて知りました。)

これでひと安心。誕生日のお祝いも予定通り行えそうです。

 

リサ緊急手術!!

11月21日

 

リサが来週火曜日(27日)に手術を受けることになりました。

日本で中耳炎を起こして治療を受けていたリサですが、先日風邪をひいてまた耳が痛いと言ったので遅まきながら耳鼻科を訪問しました。診断は咽頭扁桃、またはアデノイドとよばれる喉の奥の部分が肥大していて、これが鼻腔や耳管を圧迫しているとのこと。最近ずっとでていた咳、時々気になっていた鼻づまりの喋り方やイビキ、そして滲出性中耳炎(=中耳腔に水がたまる)とそれに伴う難聴などすべてこのアデノイド肥大が原因だったようです。このアデノイドを切除する手術です。

幼児には比較的よく見られる病気だそうで、幼稚園の先生に話すと彼女の2人の子供もこの手術を受けたとのこと。お友達のひとりも手術経験者でした。全身麻酔だそうですが、手術自体はものの10分ほどで終わるそうで入院の必要もないそうです。リサは耳のなかに溜まった水を排出させるために鼓膜も切開するそうですが、これも想像するほど恐ろしいことではないようです。鼓膜は回復が早く、液体をすっきり出してしまった方が結果的には良いらしいです。

誕生日を前に何かバタバタしてしまいそうです。もっと早くに耳鼻科に行くべきでした。反省。いずれにしても原因が解明されてよかったです。術後の痛みはやや残るものの、翌日には幼稚園に行ける程だそうです。しかしながら全身麻酔なのでリスクが全く無い訳ではありません。予め麻酔科の医師と面談があるそうです。

どきどきしているのは本人よりも母親だったりします。

 

いよいよ寒くなるベルリン地方

11月11日

 

今朝起きた時、我が家の室外計は1.5度を示していました。夜中の最低気温の記録は0.1度。南ドイツの山岳部ではもう雪だそうです。いよいよ寒さが厳しくなります。

 

日本でのホリデー総括

11月11日

 

@暖かい気候を満喫

日中は半袖で過ごせるほどの暖かい日本の秋は、ドイツから来たわたしたちにとっては夏の延長。太陽の光をたくさん体にためこんで来るべき冬にむけてビタミンの生成に勤しみました。

Aうじゃうじゃ子供に囲まれて

6歳から生後7ヶ月まで我が子以外に5人の子供達に囲まれ、毎日賑やかに過ごしました。リサもきょうだいが絶対欲しくなっちゃいました。

B台風とともに過ごす久米島3日間

久米島の海はそれでもエメラルド色だった・・・。お天気が残念だったけれど、それでもいろいろ楽しい思い出ができました。(強風の中レンタカーで観光してタイヤを溝にはめてしまうが、親切な島の人々に助けてもらいました。)

C家族・親類の有難さを再確認

自分の両親・兄弟だけでなく光平さんやジュリちゃんにとてもお世話になりました。どうも有り難う。こうしてどんどんファミリーの絆が広がって深まっていくことはとても嬉しいですね。

D自分の友人には会えず、残念。

大学や高校時代の友人に会おうといつも意気込んでいくのにきがつけば機会を見つけられず会わずじまい。子連れだとどうしても遠出するのがおっくうになってしまう。子供無しで会うのもおもしろくないしねぇ。それぞれの母としての成長を見てみたいので、わたしは親子で会いたいと思っているのです。次回こそは会いましょう。ごめんね、みんな。わたしのことそれでも忘れんとってなぁ!

E買い物しまくり

主に衣服ですがユニクロやアウトレットでたくさん仕入れてきました。デフレがすすんで日本も買い物しやすくなったよ。まあ、ドイツでも安いものはあるけれど安物は粗悪品と決まっているので、「エエもん安い」日本で買い込んじゃいます。あと100円ショップで、リサの誕生日会での子供達へお返しにする小物も仕入れました。100円どころか20円とかでかわいいメモが買えるのでこれはイケル!ドイツは文房具類も高いし、可愛いものは皆無なのです。(誰か輸出しない??儲かるよ、きっと。)

Fリサの中耳炎

もともと風気味だったが、ある日耳が痛いと言ったので耳鼻科へ。検査の結果かなり進んだ中耳炎だということで通院する。海外旅行保険を適用できるが日本での支払いは現金。5回の通院で3万円以上かかりました。初回は初診料や薬代などで1万6千円!いやいや、健康保険制度の有難さを改めて実感ですね。

 

レグナー家日本へ休暇旅行

10月3日

 

10月4日から24日までレグナー家三人揃って大阪で休暇を過ごします。今回のハイライトは@美里の運動会A「おかあさんといっしょ」ファミリーコンサートB沖縄(久米島)旅行です。観測史上最も雨が多い9月だったベルリンから秋晴れの大阪へ!!!

 

リサの幼稚園はじまる

8月25日

 

8月20日からいよいよリサの幼稚園がはじまりました。と、いっても日本のように入園式があるわけでもなく、同じグループに入ったのはリサを含めて二人。別のグループには一人だけでした。9月からまた何人か新しい子供が入ってくる予定です。

 

ドイツの幼稚園は日本の保育園のような感じで、リサのところは3歳から5歳までの子供が1グループに15人弱くらいです。各グループに先生がひとりと、「保護者当番」のお母さんがひとりついて子供達の世話をします。リサが通うプロテスタント系の半日幼稚園ではこの「保護者当番」がどこでもあるようです。

 

最初の一週間は慣れるまで毎日母親が一緒についていました。最初は新しい環境にやや戸惑いがちのリサでしたが日が経つにつれ徐々に肩の力がぬけていくのがわかりました。同年代に比べるとドイツ語が遅れていますが、たった5日だけ幼稚園に通っただけでおどろくほど口にする語彙が増えました。この調子だとあっという間に日本語とドイツ語が形勢逆転するかもしれません。

 

第2週からは母親無しで通うことになります。

 

義父の納骨式

8月14日

 

7月6日に亡くなった父の遺骨を墓に納める納骨式が8月14日にありました。

 

 お葬式と同じ斎場の小さい部屋の正面に銅の骨壷(形は優勝カップに蓋がついている感じです。好みで色々な骨壷が選べるそうです。)が置かれ、音楽が流れる中、ただ故人を偲ぶ時間が流れます。その後義父の墓の場所まで導かれ、そこに行くと地面に穴が掘られてありました。その中に骨壷が納められたのですが、それまで精神的に扱われていた「死」が、地に開いた黒い穴の出現でいきなり、強烈に現実として突きつけられたような気がして、わたしは思わず小さく叫んでしまいました。

 

墓石は今製作中だそうですが、そのうちそこに置かれ、その前には小さな花壇のように花が植えられます。

 

これで義父の死からの一連の儀式は終わりです。日本のように49日忌などもなく命日に法事をすることもないようです。

 

待望のデジカメ ついに入手!

8月10日

 

CANON DIGITAL IXUS V (日本名CANON DIGITAL IXY 200)がついに我が家にやってきました。かれこれ一ヶ月以上前にインターネットでの特価を見つけ発注。しかしなんだかんだと待たされ、もう諦めかけていた矢先のこと。思いがけず鳴ったインターホーンの「小包です」との声にわたしたちの心は躍り狂ったのであった。

まだ手にして2日しか経っていないけど、もう、すっかり「大人のおもちゃ」です。わたしは日本で弟のFUJIのデジカメを体験してるけどヨーガンは全くの初心者。いろいろな機能にいちいち驚いては感心し、おもしろがっています。

日本では当たり前のデジカメですが、こちらではまだそれほど普及していません。まあ、お店にはもちろん売られていますが、日本人ほど新しい技術にオープンじゃないお国柄ですからね。

ちなみに日本のデジカメで撮った写真をCDに落としてこちらのコンピュータ(ドイツ語版ウィンドウズ)で見ようとしたら見られませんでした。日本語版のウィンドウズでは見れます。画像でも処理するソフトが日本語なので対応できなかったみたいです。コンピュータは奥が深いね。

 

義父の葬儀

7月15日

7月14日ケムニッツにて。無宗教だった義父の葬儀は、墓地内の斎場にて執り行われました。ドーム型の室内は教会を思わせる建物で正面には十字架がかかっており、その下に花で覆われた木の棺が置かれていました。カノンが流れるなか参列者が入場し、音楽が止むと説教師が死と生について、そして義父の人となりについて話をしました。そしてまた音楽。そして沈黙の時。再び説教師が現れ、参列者は棺の前でそれぞれ最後のお別れをして退場しました。

日本(仏教)のお葬式とくらべると死が美化されている分、死んだ者と後に残る者との隔たりが大きいという印象をうけました。

義父は火葬を希望していたので8月に改めて納骨の式が行われます。火葬は日本とは異なり、家族の付き添いはありません。納骨の日に火葬場から遺骨をわたしてもらえるそうです。

ちなみに伝統的なドイツの埋葬方法は土葬で、火葬は全体の3割程だそうです。

 

ヨーガン入院する

7月15日

7月9日から3日間、ヨーガンが精巣腫瘍の精密検査のために入院しました。結果は腫瘍ではないということで一安心です。それでも全身麻酔をしての検査だったので想像以上に弱っているわが夫の姿を見てかなり動揺してしまったわたしでした。デリケートな部位だけに、切開したところが今でも痛そうです。

 

リサ 日本の幼稚園の運動会参加

7月7日

7月7日七夕の日に、リサが通う日本語補習校の運動会がありました。会場はいつも校舎を借りている小学校のグラウンド。ちょっと蒸し暑い夏の空の下、赤と白のハチマキを締めた子供や大人がドイツではまず見られない運動会を楽しんでいました。

リサもリレーや借り物競争、玉入れなどに大活躍。一生懸命走る我が子に「がんばれぇっ!」と我を忘れて声を張り上げることのできる幸せにひたっていたわたしでした。

運動会っていいよね。この秋、日本にまた行きますが、最大の楽しみは姪っ子の幼稚園の運動会です!

ちなみに前日に義父が亡くなったので、運動会が終わったあとすぐにケムニッツの実家に向かいました。

 

義父亡くなる

7月6日

7月6日に義父がガンのため亡くなりました。74歳の生涯でした。旧東独時代は教育者として校長をつとめたり、知的障害の児童のための学校設立に携わったりしたそうです。近年は退職後の生活を義母と楽しんでいました。絵や工作の得意な人で、孫たちには大人気でした。3ヶ月にわたる闘病生活の末、あまりにも急に逝ってしまいました。詳細は「ファティのこと」で。

 

ヨーガンのパパの誕生日

6月23日

6月20日がヨーガンの実のお父さんの60歳の誕生日でしたので、久しぶりに訪問しました。チェコとの国境に近い田舎町で開業医として働くお父さんにお会いするのは3度目です。ヨーガンのお母さんと離婚したあと、再婚した女性との間に2人の男の子がいて長男はドレスデン大学で医学を勉強中、次男は大学へ進学する前のモラトリアムでパリのリッツホテルでドアボーイをしています。彼らのお母さんはお父さんの医院で看護婦として働いていて、掃除大好きのドイツ的女性です。

60歳という節目の歳なのでたくさんの親戚が招かれていて、はじめてヨーガンのお祖母さんやおばさんにあたる人達に会うことができました。お祖母さんは85歳ですが、話し振りはしっかりしていてとても知的な感じの方でした。リサにとっては曾お祖母さんになます。

リサは初めて会う人ばかりなのにも関わらず、すぐにうちとけ、たくさんの人と一緒に遊んでもらえるのでご機嫌でした。

 

のんびり過ごした2週間の休暇

6月15日

6月上旬の2週間、ヨーガンが2週間の休暇をとりました。今回はどこに旅行する予定も(お金も)なく、家の片付けなどでのんびり過ごしています。残念ながら気候は雨がちで気温も低いので外出する機会もあまりなく、親子3人でダラダラとしていますが、それでももなかなか充実した気分です。

雨の合間に自転車で近所を再発見のサイクリングに出かけることもあります。普段、自動車で走っている道も自転車だと新鮮に見え、いろいろな小さな発見に出会います。

ヨーガンの両親のいるケムニッツにも3日ほどでかけました。彼の父親は胆嚢ガンの手術の後も様態が思わしくなく床に伏せています。肉体的にも衰弱しているのですが、それにも増して精神的に弱っているようです。

ベルリン―ケムニッツ間のアウトバーンは改良工事が着実に進みかなり走りやすくなりました。5年ほど前はひび割れたガタガタの道と工事のため幅がせばめられた道とでつながっていたこの区間。今では殆どの部分が無制限区間となり広い片側3車線のまっすぐな道が森の中を貫いています。時速200キロを体験してみる??

 

レグナー家自転車購入

5月11日

 

アウトドアの季節到来!ついに直美の自転車を購入し、これで我が家は各自一台ずつ自転車を所有することになり、にわかに「健康家族」と化したのであります。自転車は有酸素運動とかなんとかで健康づくりにとてもいいらしいです。

 

ドイツでは自転車は単なる移動手段というよりはスポーツとして捉えられる傾向が強く季節がよくなると競輪選手のようなウェアに身を包んだサイクラーが街中を走り抜けます。ヨーガンはすでに2週間ほど前から職場まで自転車通勤をしています。所要時間5分から7分ということですが、それなら今まで毎日なんで車で行ってたんだろう・・・?

 

リサの自転車操縦術も日増しに高まり、急な下り坂も上手にブレーキを使いながら走っていきます。子供を座らせる荷台も買ったので来週、取り付けたら三人でどこかにサイクリングに出かけたいと思っています。ベルリンでは電車に自転車を載せることができる(有料)ので郊外まで電車ででかけて、そこから自転車を楽しむことができます。

 

ついに訪れた良い季節

5月10日

 

紆余曲折を経て気候はどうやら安定し、さわやかな初夏の気候に落ち着いた模様です。日向では肌をさすような強い日差しですが、日陰にはいると肌寒いほどです。空気が乾燥しているせいでしょうか。木々の花は咲き乱れ、桜は終わってしまいましtがリンゴやナシの花が今盛りです。マロニエの白い花もあちらこちらで見られます。花粉症の人にとっては、しかし辛い季節ですね。

 

そしてまた冬・・・

5月6日

報じられていた通り、低気圧が近づくにしたがい金曜日の午後からまた急に気温が下がり週末は12度程度と、寒い日が再来。しまわずにおいた冬の靴や上着がやっぱり役に立ちました。夜中は10度を切る寒さです。水曜日には水着で水遊びしたなんて、ウソみたいでしょ。でもこれがドイツなのだ。

 

冬から一気に夏・・・

4月30日

つい2週間ほど前には雪が降り、春はどこ・・?と遠くの空を眺めていたドイツッ子たちですが、いきなり25度を超える夏のような日が訪れました。まだ玄関先にはダウンジャケットがぶらさがり、ブーツが置かれているのに、いきなり半袖・素足にサンダルになってしまうところが極端。ドイツでは暦よりも、その時その時に応じて服装を調節する必要があります。日本のようにいっせいに衣替えなんてできない気候なのです。この夏のような暑さも、いったい何日続くのやら・・。その後、また冬のような寒い日がくるやもしれません。こう考えると気候が国民性に及ぼす影響というものは少なくない・・・と思いませんか?

 

ドイツの空に新しい道しるべ

4月20日

4月19日からドイツの上空を飛行する航空機のルートが新しくなりました。通過地点を確認するチェックポイントのコード名が変更になったり、新しいルートが追加されたりしたそうで、私たち只の乗客にとっては何も変わりはないのですが、航空管制官やパイロットにとっては慣れるまで緊張の連続だそうです。

この日を「Xデー」とでも言わんばかりに緊張して待ち受けていたヨーガン。当日は軍用機や実習飛行など「いらんもん」がたくさん飛んでいて、ストレスは増大したそうですが、ミスもなく無事終わったそうです。

日航機のニアミス事件以来、その存在を少し世間に知られた航空管制官の仕事。想像以上に大変なようです。じりじりと後退する彼の額の生え際を見るたびに実感する次第です。

 

雪のイースター

4月18日

30度近くまで気温が上がった昨年とは打って変わり、今年は雪が降り気温も零下にならんばかりの寒い復活祭となりました。

復活祭とは古来の風習とキリスト教とが融合してできたもので、春の到来とともに生命の復興を喜ぶお祭りです。繁殖力の強いウサギが生命のシンボルとなっていて、イースターの日曜日に子供たちはウサギが隠した卵や贈り物を探すのを楽しみにしています。

今年、イースターウサギはリサにLEGOのブロックを持ってきてくれました。パパにはスーパーで買った靴下でした。

 

マレーシア&日本から帰国

4月15日

小雪が舞うベルリンを3月上旬に発ち、灼熱のマレーシアで真っ黒に日焼けし、日本で満開の桜を堪能したあと、4月上旬に再び降り立ったベルリンはいまだに小雪が舞っていた。

わたしは日本語とドイツ語と英語とマレーシア語が話せる、と相手構わず吹聴していた我が娘であったが、最近になってようやく旅の余情も薄れてきたようである。

 

リサ日本の幼稚園体験

3月2日

 

ベルリンにある日本語補習学校に付属する幼児部を見学したリサ。憧れの「ようちえんのせんせい」や他の子供たちといっしょに1時間、ママ無しで楽しく遊びました。おひなさまを紙コップで工作したり、お話を読んでもらったりしたそうです。母親のもとを離れても平気なくらい、いつのまにかすっかり逞しくなっていた我が子でした。

この日本の幼稚園は週一回だけです。本当の幼稚園には9月から通う予定ですが、あまり心配なさそうです。

 

春間近のベルリンに大雪。

2月23日

 

春の気配が漂いだした矢先のベルリン地方は、この冬4度目の大雪に見まわれました。芽吹いたばかりのチューリップやクロッカスも今は15センチほど積もった雪の下で震えていることでしょう。

 

今回の雪は以前と違い湿り気を多く含んでいるため雪だるまを作るには絶好の条件。アパートの裏庭で犬の糞にも悩まされずに、バージンスノーをかきあつめ、リサとふたりで三段の雪だるまを作りました。

 

今、わたしたちのアパートに住んでいる小さな子供はリサひとりなので、他に雪が積もったからと言って庭で遊ぶ人影もありません。これって、すごい贅沢でしょう。我が娘は雪の上に仰向けに横たわり、「空が青いよ。」などとつぶやいていました。

 

 

 

 

リサ 日本語学習に意欲!

2月21日

 

最近、ひらがなが読めるようになったリサはますます日本語の学習意欲が旺盛になりカタカナの練習をはじめるようになりました。日本で買ってきた公文式「やさしいカタカナ」というドリルを楽しそうにやっています。

 

「ひらがなの『か』とカタカナの『カ』はよく似ている」などと新たな発見に胸躍らせている彼女の姿に「学ぶよろこび」の原点を見る思いです。

 

卵の黄色い部分が「黄身」とよばれることを知った彼女は、「『黄身』は『君』と同じだ」と目を丸くしていたので、「キミ、キミィ。君じゃないよ、卵の黄身だよ。」というギャグ(死語)を教えてあげました。その後しつこいまでに2人でこのやりとりを続けたのは言うまでもありません。

 

しかし、その後「シロミ、シロミ!卵のシロミだよ」などと言っていたのでこのギャグの意味はわかっていなかったようだ。

 

レグナー家一堂、病床に臥す

2月14日

 

13日から14日にかけての夜中。リサが就寝中に突然嘔吐。今までに何度かこういうことが起こったが、同じように今回も明け方まで10分から30分おきに嘔吐を繰り返し、空が明るくなるころにようやく眠りについた娘を見届けて、やはり眠りについた母であった。

 

しかし、昼前になって目を覚ました母は体がだるく吐き気さえ感じる。微熱と悪寒も伴い、あ、これは病気!と気付く。一時は昨夜の嘔吐から立ち直り機嫌よくしていた娘も午後になるころに発熱。その日は殆ど食べ物は口にせず、夜まで死人のようにベッドに身を埋めていた母と子であった。

しかし翌日は病状好転。二人とも食欲を回復し、体調も良好。その次の日は友達の家に遊びにいくまでになった。

 

しかし、友達の家に迎えに来てくれた父の様子がおかしい。吐き気と発熱を訴えながら、高速を飛ばす彼。その後丸一日寝込む。病状が全く同じなので、どうやら感染したらしい。辛さがわかるので結構やさしく看病できた母であった。

 

結局、この冬流行している腸にくる風邪だったようです。今はみんな元気にしておりますのでご安心を。

 

 

直美とヨーガン、歯医者に行く。

2月1日

 

年末に歯の詰め物がとれ大穴のあいた歯と苦戦していた直美と半年ちかくも前に前歯の1本が半分欠けて間抜けな笑顔をさらしていたヨーガンが、ついに歯医者で治療をうけました。

 

1回の治療でとりあえず二人ともあいた穴はふさがれましたが、2週間後に再度通院の予定です。日本の歯医者とくらべると妙に治療が手早くて、「え、これでおしまい?」と物足りない気分のわたしでしたが、これで食事の度に歯の穴をほじくる必要がなくなり、一安心です。

 

 

リサ、ひとりで寝られるようになる!!!!

1月20日

 

 

いままで添い寝なしでは寝付けなかった我が家の娘が、ここ数日ひとりでベッドにはいってそのまま寝られるようになりました。

 

ベッドでしばらくごちゃごちゃ言っているものの、しばらくすると寝入ってしまい、朝までしっかり熟睡・・というわけでもなく、よく夢をみて寝言を言ったりむくりと起き上がったりしていますが、すぐにひとりでまた寝入ってしまいます。

 

添い寝のスキンシップは親子関係に大切だとわたしは思います。でも、そのために1時間から2時間、子供が眠るまでベッドに横になっていなければならいことは、やっぱりしんどい。今はリサをベッドに送り込んでから片づけをしたり本を読んだりと気持ちに少しゆとりができてきました。

 

ちなみに、彼女にとって「一人で寝られないと幼稚園にいけない。」というのが最大のmotivationだったようです。

 

レグナー家の休暇旅行計画始まる

1月15日

 

3月のヨーガンの休暇に旅行をする計画がいよいよ本格的になってきました。「絶対ビーチリゾートがしたいっ!!」という我が家の主の主旨に沿って、行き先はマレーシア。

 

何故マレーシアかというと、ヨーロッパ近辺ではこの時期気温はまだ低いし、常夏のリゾート地、たとえばモルジブやタイはお金がかかる!マレーシアはその点、リゾートホテルといえどもまだそれほど高くないのでこれはイケル!というわけです。

 

クアラルンプールとティォマンという島に滞在する予定。リサもマレーシアのガイドブックを見て、猿を見るのを楽しみにしているようです。

 

 

リサ、水疱瘡(みずぼうそう)になる

1月9日

 

1月8日未明、突然の発熱におそわれたリサに翌日体中に水泡が現れ、水疱瘡の疑いがもたれました。

 

日曜日のため救急医が来訪してくれ、水疱瘡と診断がくだり、痒み止めと解熱剤を処方。この処方箋を持って父親が救急当番の薬局に出向いて薬を入手してきました。

 

感染元はお友達のKちゃん。2週間ほど前に彼のお家でクリスマス会があり、当時彼はまだ発病していなかったのですが、彼の幼稚園で水疱瘡が流行中。しっかりうつしてもらってきた我が娘でした。(ちなみにKちゃんもクリスマス会当日の夜中に発病していたとのこと。)

 

家庭医学書に書かれているのに寸分違わない潜伏期間を経て、いきなり発病。8ヶ月のときの突発性発疹以来の病気であり戸惑いを感じると同時に、来るべきものが来たと言う妙に落ち着いた気持ちと、これで母親としてまた一段階昇ったような自己満足感が混ざり合った不思議な気分のわたしです。

 

そんな母親を尻目に本人は熱が下がったものの、掻痒感と奮闘している様子は健気で、代われるものならば代わってやりたいところであります。

 

 

 

 

 

 

おせち料理とお雑煮で新年を迎えた我が家

1月1日

 

今年は張り切っておせち料理をつくりました。と、言っても手に入る材料も限られているしヨーガンが2日から出張でいなくなることもあるのでほんのわずかだけ。

 

尾頭付きのえび−これは我が家にとっては大奮発して購入。でもさすがにお料理が華やかで見栄えあるものになりました。オーブンで塩焼きしましたが、身が固くなりすぎて味はいまいち。

お煮しめ−昆布巻き・にんじん・しいたけ・里芋

ごまめ−出汁雑魚を炒ってタレでからめました。リサは好きだったみたい。

きんとん−サツマイモを甘く煮て裏ごししました。

ちくわ−蒲鉾(冷凍)があまりに高かったので竹輪胡瓜で代用。

 

まあ、形だけですがそれなりに気分も出たかなぁっというところです。

お雑煮は日本から持ち帰った白味噌で京風のものをつくりました。

 

年越しソバも大晦日に食べるつもりでしたが、花火とシャンパンで大騒ぎの中、ソバの気分にはなれず、結局元旦の昼食にいただきました。

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

ベルリン ホワイトクリスマスを迎える

12月27日

12月24日、クリスマスイブの午前中から舞い始めた小雪は夕方には5センチ程の積雪となり、ベルリンは文字通りのホワイトクリスマスとなりました。

我が家は、ここぞとばかりに公園へ繰り出し、わずかばかりの雪のうえを滑走したのでありました。昨年積雪した時もたまたま週末でリサにソリを買ってやることができず、意気揚々とソリですべるよその子供や大人たちを臍を噛む思い出眺めていた苦い思い出があり、今年こそは乗り遅れまいと、クリスマスの降雪を予測してヨーガンがソリを購入しておいたのでした。(ベルリンでは1度か2度積雪するくらいで、数日で溶けてしまいます。)

その後も雪は降りつづけクリスマスの間中街は白く覆われていました。近所の公園や小高い山にいくと、もうそこはまるでスキー場にでもいるかのよう。黒い木立が白い背景にくっきりと浮かび上がっているすがたは不要なものを一切廃した究極の美の世界でありました。

山から街へもどる車道の脇の森の中を三匹の猪が歩いているのが見えました。今日までで積雪20センチを記録したそうです。今日の雨で少し溶けそうですが、明日以降、また降雪の予報です。 

 

 

 

サンタクロース、希望どおりのプレゼントを持ってくる

12月24日

12月24日夕刻。ソリ滑りから戻った我が家に異変が!どうやら留守中にサンタクロースがプレゼントを届に来ていた模様。

ヨーガンがお昼に飾ったクリスマスツリーの下に数々の贈り物の包みがおかれていた。リサには希望どおりのコマ付自転車がしっかり届いており、感動・歓喜・感嘆でいっぱいの彼女の顔は明るく輝いていた。

以下はリサの談話:

「サンタクロース、ちゃんと知ってたんだねぇ。リサがこの自転車をお店で乗ってたこと、そっと見ていたんだねぇ。それでお店の人に聞いたんだねぇ。」

「ドイツではサンタクロースは夜に来ないんだねぇ。日本では夜に来るんだけどねぇ。ドイツでは違うんだね。」

そのとおり。眠っている間に来る日本とは違い、子供が起きているときに玄関のベルを鳴らして入ってくるドイツのサンタ。「お前は良い子かぁ?良い子でなければこの枝でお尻を叩いてやるぞ!」などというドイツのサンタは、秋田の「なまはげ」を彷彿させ、どちらかというと怖い存在です。しかもプレゼントをもらうには良い子であるうえに、歌をうたうか詩の朗読をしないといけないのです。と、言うわけで我が家では今年はサンタにはこっそり来てもらうことになったわけです。

 

リサ3歳・直美34歳の誕生日。日本でお祝い。

11月25日(土)、門真にてリサ3歳・直美34歳を祝う誕生会が盛大に行われました。おじいちゃん・おばあちゃんをはじめ福井・来住・安田・レグナー家、総勢15名が集まってくださいました。

おばあちゃんの特製天ぷらと、珠里ちゃんの2種類のケーキでおくちもお腹も大満足。我が子の誕生会ながら何もしなかった母は嬉しいやら恥ずかしいやら、でもやっぱりラッキー!!などと喜んでおりました。

皆さんからの心のこもったプレゼントやお祝い、本当に有難うございました。大変遅くなりましたが、ここにお礼を申し上げます。

こちらではあまり親戚が集まることも少なく、普段の交流も少ないので、今回のパーティは私たちにとってとても心に残る、暖かい思い出となりました。

 

ヨーガン、自転車漕ぎの器械を購入!

4週間にわたるKURで、すっかりフィットネス志向が高まったヨーガン。ついには自宅でトレーニングをするために、ERGOMETER(自転車漕ぎの器械)を買うにおよびました。

毎日、と言うわけにはなかなかいかないようですが、時間のある時に1時間、せっせと自転車を漕いでいます。直美も時々使っていますが、あなどるなかれ、5分も漕げば全身汗だくで息が切れてきます。トレーニング後のヨーガンは雨の中でも走ってきたかのように汗でびしょびしょ。家の中は汗くさい匂いが充満しています。

今後も続けていけば、今度日本に行くときはスリムなヨーガンとヒップアップされた直美の姿をお目に入れることができるはず・・・?

7/12/2000

 

ケムニッツとドレスデンのクリスマス市訪問

12月10日から12日にかけてヨーガンの両親をケムニッツに訪ねました。クリスマスを前に各家の窓は美しく飾られ、特にザクセン州では伝統的なアーチ型の明かりが多く、ロマンチックな雰囲気を高めていました。

ケムニッツのクリスマス市は、ベルリンのそれと比べると昔ながらの面影を多く残しておりとても魅力的でした。リサはにわかに建てられたメリーゴーランドや観覧車などに乗りまくり上機嫌。

観覧車は小さいけれどすごい速さで回り、「フライングカーペット」のよう。「止めてー!もっとゆっくりぃーっ!」などと叫ぶわたしに「お母さん、だいじょうぶだよ」と言う冷静な娘。遊園地のジェットコースターと比べると、安全性に疑問があり、そういう意味でもスリル満点。

くるみ割人形を代表とするエルツ地方の木製品の屋台が多いのはさすがご当地。わたしたちは小さなクリスマスピラミッドを買いました。その他は蝋燭屋やクリスマスのお菓子屋、何故か靴下屋も多かったです。ドールハウス(人形のおうち)用の小さな家具を売る屋台をのぞくと、もうこれは子供のおもちゃの域を超え、マニアックな世界。グリューワインというクリスマス時期ならではの暖かいワインで体を温めました。

翌日、ベルリンへ帰る途中でドレスデンのクリスマス市も覗いてきました。ドイツで屈指を誇るだけあり、ケムニッツより規模も大きく人出も多かったです。そういう意味ではケムニッツの方がちょうど良い大きさでした。

それにしても、ドレスデンは何度訪れても美しい。エルベ川からゼンパーオペラ、ツヴィンガー宮殿にかけての眺めは溜息がでるほどです。

12/12/2000

 

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